石巻市に出向く
牡鹿半島の付け根の部分にいくつかの小さな漁村があり、東日本大震災では非常に大きな被害が発生した場所のようです。先日3月22日に開催した牡蠣パーティーの牡蠣を送って下さった村田さんが暮らす月浦町に、NPO法人新木造住宅技術研究協議会の理事会に仙台を訪れたため、新住協の代表理事の会沢さんの案内で伺ってきました。村田さんは物事をしっかり言う元気印いっぱいのお姉さまでした。仙台から石巻に向かう途中で連絡を取り午前11時過ぎに到着をしました。入り組んだ湾の奥に2件の家だけが高台にあり、車はそこに向かい細い道を降りていきました。新しくできた船着き場、それに砕石を埋めた空き地、地盤沈下で満潮時に道路が沈んでしまうとの事、思っていた以上に生活に支障が生じていたようです。家の中でお茶を戴きながら3月11日、当日の様子をうかがっていました。【2度目の津波が真っ黒い壁が島と島の間から押し寄せてくるようでたいへん怖かったです。引き潮の時、湾の底がすっかり出て第2波の津波の大きさを想像しました】との事でした。【私は津波というのは、波が一度ひいてから押し寄せてくるものとばかり思っていました。でも今回は津波がさきに来てから引き潮、第2波という順でした】まさに九死に一生を得た村田さんはその後、牡蠣に係るお仕事で生計を立てておられる様でした。初対面の私たちにとても優しくおおらかに接して頂き、明るい表情でお答えを戴きました。1枚の写真を見せて戴き、宇波に遭遇する前の写真には約40件近い住宅の姿が映っておりました。津波の後は3件の高台の住宅だけが残り、後はぜんぶ海の中に持っていかれました。津波の恐ろしさが目に浮かぶようです。行く道中、車窓には仮設住宅がうつり、いろんな問題や事件があるとの事でした。この後、車が15分ほど走り、次の目的地で秋山様というこれまた活発な元気なお姉さまに15分ほどお話をして頂きました。復興はこれからが本番のようです。小さな港町の現在の姿をよく目に焼き付け家路につきました。お話しいただいたお二人のお姉さんに心より感謝申し上げます。秋山さんの言葉で特に印象的でしたのは、住宅をつくる高台の整備や建築には業者が必要だけれどもここには大工さんがいないので、すぐ立てる人はハウスメーカーに頼んでいますとの事です。復興とはどんな意味でどんなことが必要なのでしょうか。